物心ついた時期って覚えていますか

体験記
スポンサーリンク

みなさんはご自身のいわゆる物心ついた頃って何歳ころか判定できますか?

私の場合はこれはもう小学3年ですね。

記憶としては赤んぼうの頃の頭上でくるくる回るおもちゃ見てた記憶はあるんですが、なんていうか自分を客観視した最初は小学3年です。

小学2年までは自分というものがあまり意識していなくて誰にでも対等に口聞いていたし、なんでもできて当然と思っていました。成績もこのころまでが一番良かったです。オール5まではいかなかったんですが音楽4そのほかは全部5はありました。

多分引き寄せで”幸せになった状態にあるのを当然と思う状態”がこの小学2年までのことだったのかなあと思います。自然に引き寄せられていたんだと思います。

小学2年までは割と交友関係も年の上下なく活発で学級委員とかも喜んでやったりしたものでしたが、小学3年から一人遊びするようになってました。

そういえば遠足の班作りのときに先生が

「じゃあ好きなもの同士で5人で組つくってー」

と言い出して、結局どこにも入れずに、遠足当日になってばれて先生の仲介でカースト中段くらいの班に入れてもらって弁当食べたこともこのころです。

もし学校の先生がこれを見ていたとしたら”好きなもの同士で班つくってー”ってのは絶対止めてもらいたい、
それは先生の手抜きです。
さて私の人生にちょっと変化があったこの時期ですが、
 運命の転換には理由があった?

だけどこの転換期、ちゃんと物理的出来事があって小学2年の夏に実家を立て直してるんですね。それまでは祖母と祖父が昭和初期に100円で建てた家と、両親が結婚したときに隣に建てた平屋で暮らしていましたが、その古いほうの家をこわして改築して新しいほうに接続する形で建て替えました。

これで気が変化してしまったんだと思ってます。古い家案外に好きでしたもん。

こんな感じの家です

台所は薪をもやすタイプのカマド。トイレの便器は木でできたボットン。あと奥に階段があって今でいうロフトみたいな屋根裏収納がありました。荷物がいっぱい積んであって結局最後までこの屋根裏収納には入らせてもらえずもう少し、せめて中学まで残ってたら探検できたのになあと残念です。

取り壊すときにヘビの抜け殻がでてきてました。

あと古い家のトイレは電灯がなかった(どんだけー!)ので暗くて明後日のところに出してしまってからは使わなくなりました。落ちなかっただけましか。

それから父親が家の鬼門の北東に生えていた柿の木を切り倒ししてしまったんですよねえ。

2本。

あれが鬼門の悪い気を吸収していたんだと思います。その後小学4年から5年にかけて軽いいじめにあいました。

大人になってから聞いたんですが生育が遅い木程影響が強いみたいです。

♬桃栗3年柿8年、なんてCMが昔ありましたが柿は実をつけるまで8年かかることもあって怨念ではないですが切り倒したときの影響がでかいと。

うちの親は新築するときもちゃんと方角は見てもらったっというんですが、適当にあしらわれて金だけとられたんじゃないかと思ってます。今だったらネットで裏をとることもできたんですが、当時は素人ははあそうですかというしかないですもんね。

後で聞いたんですが柿の木は祖父が植えたとのこと。じいちゃん、密かに尊敬してますよ。実家に帰ると水兵の服きた写真があります。じいちゃんは2回招集されて2回目に拙く戦死しました。この話は後で書きます。

ちなみに子供の上の子は幼稚園上がる直前に物心付いたのがわかります。写真みても顔つきがちがってきてます。下の子はよくわかりません。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

[itemlink post_id=”1444″]

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました