この記事は鬱で休職した時の体験談9(復職前)—–鬱関連⑪からの続きです。
復職したのは元の部署であったが若干人員が変わっていた。直接の上司は別の人間になっていて(といっても元隣の課の人なのでよく知ってる)元の上司は年なので嘱託扱いになった。
新しい上司は「メンタルの講習も受けたので大丈夫だよ」と言っていたが元々の性格もわかっているだけにあまり過信できない。。
復職直後はうちの会社では時短勤務から始まるとのことだった。
定時間勤務より2時間短い勤務時間を2か月程続けてその後定時間勤務に戻るとのこと。
なので通常では8時ー17時のところまずは9時ー16時からのならし勤務から始まった。
内心、「え?半日勤務ではないのか?やっぱブラックだなうちの会社。」
と思ったが、今振り返るとこの早く帰れる日々が限りなく懐かしい。。
春先のポカポカしてる季節での復帰だったので日中帰る頃はまだ暖かくて、よくコンビニでモナカアイスを買っては帰りの電車で明るい風景を見ながら食べるのが至福の時間でした♡
帰り際に食堂のパートのおばちゃんたちが外の喫煙休憩所でガラガラ声で話しているアンニュウイな空間の横を通るのも至福♡
高校生や女子大生が多い電車の中も至福♡
とにかく平日昼間の電車はもう、だらっとした別空間、別時間が流れています。
帰りに漫画喫茶にもよく行った。自由な時間があるって素晴らしいです。
うららかな時短勤務でしたが、時短の間は遅刻早退扱いになっており、給料が激安になってました。お金の心配はさらに鬱を悪化させるのわかってるのかねうちの会社は。そんなわけで復職初期は経済的に苦しかったです。
ちなみに今まで一番自由だと感じた瞬間は浪人生の時に予備校からの帰りに自転車乗ってる時ですね。その時は家から遠い駅だと乗り換えなしの一本で済むので遠い距離自転車で駅まで通ってました。なんにも所属していないってすごく開放感、ありました。
仕事は最初は誰かのお手伝い的な気楽な仕事やるのかなと思ってましたが、いきなり新規案件の担当やらされました。 ああブラックだ。 というか後々わかるのですが自分が所属している部署がすごく特殊な環境、慣習だったようです。親会社から天下りで集まった人達が取り仕切る組織の孤島というか。元から子会社の僕たちと親会社から天下った人たちとの格差社会。
数少ないホワイトなところなんですが、丁度タイミングよく僕が復職した年度に会社で月1回無料カウンセリングを医務室で受けられる制度が始まってましてなんか占い師みたいな黒い服が好きな30代半ばくらいの独特の雰囲気の女性カウンセラーが相手してくれました。
カウンセラー「どうですか?最近は?」
僕「いや、まだ鬱の波はあります。周りにどう思われているかも気になります。ただ子供は純粋に接してくれるのでそれが救いで・・・ほんと子供は嘘がなくて・・」話しながら涙出た。
このカウンセリングはその後1年くらいやって最後のほうは認知行動療法をやってくれたのですが、「まだ私も勉強中なので」とか言って教科書的なうわべだけさらっとという感じ。正直これならカウンセラーって誰でもなれるんじゃ?と思った。
時短勤務の後は定時間勤務3か月くらい続けてその後残業、出張ありの通常勤務に戻る予定でしたがなんかうやむやの内に3か月を待たず、普段通りの勤務になっていました。
なんかメンタル復帰の優等生とか言われたしな。いや本人の努力あってのものなのにやはりわかった振りをしていただけか上司よ。
はい、歯車人生です。
ああ退職をコミットメント(←最近覚えた)したい。
とりあえずこの鬱で休職シリーズは今回で一時完結です。
その後も何度も休職しようかと思ったことも多々ありました。次回をお楽しみに。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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