鬱のなりはじめ (2/2)---鬱関連②

鬱関連
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この記事は

鬱のなりはじめ (1/2)---鬱関連①

からの続きです。

 

最初の精神科の医者はまるっこくてお坊ちゃん風の人だった。一通り症状を聞き終えると、

「あーそれは鬱症状ですね。1ケ月休みますか?診断書書きますよ」といった。

だが、まだこの時点では踏ん切りがつかない自分。

少し様子を見てみたい旨伝える。

医者はもうほぼ事務的に

「薬はこれとこれとこれを出しますね。あとカウンセリングもありますけど受けますか?まあマッサージみたいなもんですけど」との事。なーんか親身ではなかった。

でも一応保険として金はかかるが診断書をもらっておいた。ほんとに辛かったらこれ出して休もうと思った。

”鬱症状のため1か月の加療を要する”と書いてあった。

薬は抗うつ剤(トレドミン)、導眠剤(ハルシオン銀)、それとなにか2種類くらい、ここはとにかく薬の量が多かった。

それでもハルシオンは犯罪に使われてから処方する病院はほとんどなくなったようだが効き目がはっきりしてて好きだったし効果あったと思う。

飲んで5分くらいで急激に眠くなって普通に眠りにつける。手術のときの麻酔薬みたいにはっきり眠くなるのがよかった。

ただハルシオンは飲みすぎると翌日もずっとボーッとしてしまう。

今飲んでいる導眠剤はマイスリーといって眠いんだかなんだかわからないうちに寝ているというもの。今の医者は導眠剤はマイスリーが一番と言っているが。

抗うつ剤(トレドミン)は飲むと気持ち悪くなった(嘔吐感)このころ気持ち悪いんで休むと言って何回か会社休んだ。

子供はまだ赤ちゃんだったしどうしようかと思った。

この病院には3,4回くらい通った。7月から11月くらいまで通っただろうか。

途中で前回のくそ課長に休職の相談をしたことがあった。

目の前のトラブルから逃げたかった。

「はいそうですかと言うこと聞けるか」

と、どっかで聞いたようなくそ返答がかえってきた。

結果的には薬で誤魔化しているうちに装置のトラブルが終息していって、翌年2月くらいにはかなり症状がよくなった。

力になったのは実家の母とかだったように思う。とにかく誰かに聞いてもらって肯定してもらうのはよかったと思った。

そして病院に行かなくて、薬も飲まなくても眠れるようにまで回復するのである。

病院はもう終わりとは言わないのでこちらから行くのを止めた。

当時はやっていた占いによるとこの年が自分の大殺界にあたっていた。

大殺界の年は終わってみると夢のようだと書いてあったがほんとにその通りの感じだった。

私の第一次鬱は以上のような感じでした。

 

 

 

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