私は以前鬱で会社を数か月休職している。
しかしその時はほんとにひどくなった時でその何年も前から兆候はあった。
鬱休職の3年前、当時の上司他が
家に帰っても自然に思い出してしまう位嫌さのインパクトがでかい奴
だった。しかもそういうのが同じ部署に3人から5人位いた。
なんでそんなにいるかというとまあ DANKAI組 のやつらだったから。
(いや勿論団塊組にも人格者はいましたが、わかる人にはわかってもらえるだろう)
休みの日に家族で買い物に行こうとしてもつねに腹になにかあるようにモヤモヤしていた。
ふと手持ちぶたさになる瞬間に思い出してまた嫌な気分になる。
よく駐車場で車の上げ下げで待ってるときとかに思い出してしまっていた。
まずそんな状態で5,6年経過した。
この状態だとなんとかやれていたのだが、そのうちにウツになるきっかけが起こる。
私の部署は所謂工場ラインの生産装置メーカーの設計である。小さいところなので設計とはいっても現場にもでるし、トラブル対応も客先まで出向いて自ら解決する。
(あまり詳しくはまだ書けない)
その課長の仕事の取り方は他の業者が逃げていなくなったブラック案件をお客の言うことを
ALL YES で拾ってきて、全部下に投げて自分は6時ごろにさっさと帰ってしまうというウシジマ君にでも出てきそうなくそ野郎だった。
しかもなんでお客の言うことなんでもはいはい聞くかと言うと
早く打ち合わせ終わらして帰りたいから
という全くの利己的な理由だったというのを別の人から聞いていた。
そんな感じで誰も手をださないような超難しい案件を取ってきた。
さすがにヤバイと思ったのか課長も少し動いて、一緒にコネがある会社で似たような装置を製作した経験があるところに図面もって相談にいったりしていたが、相談先は
コレ、いけるんじゃないすか?
なんて乗り。自分もまだ経験不足からくる怖いもの知らずだったのでそのまま仕事を進めていった。
一応装置は形になり、試験稼働として製品を流してみたのだが、結構深刻なトラブルに見舞われた。
毎日23:00近くまでいて対応に当たり、あまり完全でない形で出荷、当然のように客先でもトラブルは再発。しかも特亜の国だもんで交換部品送るのにも無駄に手間がかかった。自分もいやーな気分で何回も出向いた。
現地に行ってるサービスマンからは夜中の12時でも「また装置が止まった」と電話がかかってくる。
朝早く目が覚める、夜中に何度も目が覚める。眠りが浅い、食欲がなくなる、味もなくなり、食べるのがつらい。
そんなことが続き、体も頭も鉛のように重い感じになっていった。
この辺で人生初の診療内科に行った。
鬱のなりはじめ (2/2)---鬱関連②
に続きます。
鬱関連の話は私の根源的な課題でもあるので、断続的に経過を書いていくことにします。
話が長いのでとても一気には書けません。鬱関連シリーズで書いていく予定。
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