この記事は
鬱で休職した時の体験談5(抗鬱材飲んだらとんでもないことにー最初の意味ある外出)-----鬱関連⑦
からの続きです。
休職に入って2週間~3週間くらいするとかなり状態がよくなってきました。
朝方の自死念慮みたいなものもなくなってきました。
あと上司から電話などが入ることに怯えていたのですが意外にも会社からの連絡は窓口の総務の方がたまに送ってくるメール以外にはなく、仕事を思い返すこともなくて気分も軽減してきました。(この辺の鬱患者に関する管理は会社側にも感謝です。)
鬱休職突入するまでと会社から解放されてしばらくはほぼ関心を払っていなかったのですが、我に返ってうすぼんやり気にしていたことがだんだん大きな悩みになってきました。
溜まった有給休暇消化中ということで休職中に迎える最初の給料日は前月の残業分も加算されるのでまあ、普段の給料とほぼ同じ額だからそれほどでもなかったが2度目の給料は残業分のない定時間分の額でしかなく、これだとローンや光熱費、マンションの修繕費や管理費等を払うと
収支が赤字になった( ゜Д゜;)
(しかもそれまでの残業分が多かっただけに引かれる額も多くて手取りがほんとに少ない)
「これ会社に復帰できないとローン不払いになって買った分譲出ていかなければならなくなって借金だけ残る最悪の事態になるぞ、どうしよう。」この思いがかなり大きくなった。
今は溜まった有給を消費してるからこれでも通常の給料だけどそのうち健康保険の傷病手当分だけになって(60%くらいを半年分出る)徐々に払える金が減っていって追い出される。
子供の幼稚園の学費も出ないから退学で・・車も売って・・離婚になるか実家に帰るか、最後は一家離散だな、など
悪い未来予想図ばかり頭にぐるぐるまわっていた。
そんな時に聞いた、水道局の領収書をみていた妻の一言
「なんでこんなに水道代かかるんだろう」
え? ( ▽|||)サー
それから家族に言いました。
「給料が減るのでお風呂は2日に1回」
「トイレで小をするときは必ず水洗レバーは必ず小側に倒す。」
幼稚園生の子供にもこっちにまわせと教える。
子供は「うん。」とうなずいた。
大のほうをするときも自分は臭いのがいやなので途中で何回か流してしまうのもしょっちゅうだったのですが全部出切ってトイレから離れるまでは流さない。
妻は
「私も働いたほうがいいの?」
と聞いてきたが、「あと1か月して先が見えないようなら働いてほしい」といいました。
(ほんとにその気があれば聞かないでも職を見つけてきただろう)
通勤定期もすぐに解約に行った。3万円くらいもどってきた。
すごいほっとする。そして悲しくて悔しくて情けなくて涙がでた。
通勤定期を解約すると大体買った金額の日割りの半分くらいの額、つまり返金は少なくなります。
車も売って駐車場代やランニングコストを抑えたかったのだが妻から
「それは困る」
との反対があり、これもしばらく様子見となってしまった。
(ちなみにローンを早く返せる人は車持ってない人が多いそうです。それだけ車には余分にお金がかかるのです。カーシェアが一般的になればみんなの生活も楽になるんではと思います。)
その時に持っていた株も全部売却してローン支払い用の口座に入れた。
預金額で60万円を超えているのをみてすごくほっとする。(これで4か月はもつ)
とにかく残業バンバンやっているうちは気づかなかったが残業ない人間がローンと家族を養うのは今の日本ではとてつもなく厳しいのが現実だ。
(プレミアムフライデーとか現実が全くわかってない寝言である。)
このお金という新たな悩みにより上昇しかけていた気分が上から押さえつけられるのである。
この身も蓋もないお金という問題により、
何年もこのままでいるわけにはいけない。切り替えて会社に戻れるようになにかしなければ。
と少しずつ自分でできるリハビリを始めようと思いました。
(ただ、今はお金さん、愛していますよ。もちろんお金さんからも愛されていますよ。)
この記事は
鬱で休職した時の体験談7(休職からの解脱に向けいろいろやりだす)-----鬱関連⑨
へと続きます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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