鬱で休職した時の体験談1(休職直前)-----鬱関連③

スポンサーリンク

このブログ開設の一つの目的でもあった僕の鬱体験について書きたい。

前に

鬱のなりはじめ (1/2)---鬱関連①

では僕の初期の鬱について書いたのだが今回はその数年後鬱再発して休職までいった時の顛末を書きたい。今回はその1回目、なにせ長くなるので連続掲載でなくて断続的になるのはご容赦をお願いします。

この時もまたなんなんですがまあぶっちゃけ主なストレッサーは

団塊の世代の人たち

でした。

当時、装置の処理能力の向上を客先からかなりうるさく言われておりました。客先といっても去る特亜の国のメーカーなんですが、まあ発火事故で一時飛行機持ち込み禁止になった携帯つくってるメーカーです。

そして設計する当の本人の僕が無理だと言っているのに売り上げ数字だけがほしい営業関連の団塊の人、団塊の上司は、できる、できる言って仕事を進めようとします。

”なにか不具合がでても苦労するのは自分じゃないから”という前提があるから無責任に進められるのでしょう。

そんな早い装置を作ったらもうなにが起こるか分からず、とんでものない不安にかられました。まともに計算を進めていくとモータも長さ1mくらいのサーボモータを使用する等とんでもない大きさになってしまい、毎日毎日不安でした。

それに加えて別の課の別の団塊人からは意味なく怒鳴られます。その人は都合が悪くなると「そんなの聞いてねえ」と言い出す、まあよくいる厄介者なんですが。

さらに加えて当時やっていたFXでドル円がどんどん下がっていっていた時でそこでも気が休まってませんでした。

毎日朝電車に乗っている時が非常に鬱で、そこで2chのメンタルヘルス板毎日覗いていました。朝は大体座れるのですが、会社の駅に着く直前には座ってで頭をつっぷす態勢になってました。

ただこの時11月ごろからだんだんおかしくなっていったのですが12月中旬くらいまでは割と耐えられるレベルの鬱でした。

このときは11月ごろにネットで調べて前と違うメンタルクリニックに通い始めてました。

そんな不安定な気持ちのまま正月休みに入ります。不思議なもので正味1週間ちょっとであっても会社から離れられる正月休みは心もすこし平常になり、普通に実家に帰って普通に喋れてました。

この休みの時まだ小さい下の子とすれ違う時に

「カミタマ、カミタマー」

と下の子が言いながら走って行ったのをよく覚えてます。自分でもよく神様に苦しみから解放されるように祈っていました。

このころよくやっていたのが”断言法”です。一日15回ノートにほしいものはなりたい状態を繰り返し書くことで願望を実現させる方法です。まだノートとってあって、

”○○と完全に縁が切れる”(○○には当時の団塊人の名前と厄介客先名が入っています。)

なんて書いてあります。

今の引き寄せ法則からいえばこれは間違った書き方なんですが。

結果的にこれは実現されるんですけどねww

あと11月ごろ、”仮想貯金”と”苫米地 英人さんの洗脳メソッド”を始めていました。

”仮想貯金”は一日に自分でなにかいいことをしたと思ったことをメモしてその分仮想貯金が増やします。例えば「子供と遊んだ¥10000の収入」「皿洗いをした¥20000の収入」などとメモしていって貯金額を増やしていって自分に自信とやる気をつけさせます。

なぜ、「頑張っている人」ほど、うまくいかないのか?

という本の内容です。

”苫米地 英人さんの洗脳メソッド”は苫米地さんの著書は膨大でこれは無数にあるのですがその中でも

脳と心の洗い方~「なりたい自分」になれるプライミングの技術~

という本で、

絵具のパレットの枠の一つ一つに記憶を当てはめていってそこを筆で絵の具をチョイチョイさわる真似をしながらなりたい自分を絵を描くように作り上げて、なりたい自分と快感記憶を結び付けてなりたい自分を想像するだけで気持ちよくなる状態にして無意識をコントロールしようというメソッドです。この訓練を何日間かやりかけた状態で休職に突入しました。

もしかしたらこの自己洗脳メソッドをやっていたので急激に鬱進行したのかもしれないのでメモしました。

鬱で休職した時の体験談2(休職決定ー仕事からの解放)-----鬱関連④に続きます。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

スポンサーリンク
レクタングル大




レクタングル大




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
レクタングル大